<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<oai_dc:dc xmlns:oai_dc="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc/     http://www.openarchives.org/OAI/2.0/oai_dc.xsd">
  <dc:title>中島敏フォトアーカイブ</dc:title>
  <dc:creator>中島敏</dc:creator>
  <dc:description>大阪万博にともない「あいりん総合センター」が出来るまで旧小字・東四條に「寄せ場」があり全港湾建設支部西成分会（1969年）暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議（釜共闘 1972年）の闘争等を経て諸権利の獲得に至る、1970年代のアルバム約10冊、夏祭りや越冬闘争も定着して夜間学校等の試みに至る1980年代末までの約10冊、ドヤ街の建て替えラッシュを経てバブル末期に日雇労働者が大量の野宿者化をみながら関西国際空港の建設飯場に至る1990年代半ばまでの約20冊からなる。
　この期間をつうじて中島敏のカメラは釜ヶ崎の街頭にみる日常を切り取ると同時に、頭上に増殖する監視カメラ、ドヤ形態の変遷等を外観からとらえるのみならずドヤ内部の構造、単身生活者の衣食住をはじめ、みずから身を寄せた労働現場あるいは飯場の様子・弁当の中身まで垣間見せてくれる。他に戦前の史料複写・暮石慰霊碑など『定点観測』等のための記録写真を多数含む。</dc:description>
  <dc:format>大阪・釜ヶ崎に来た1969年から、機材をデジタルに切替えた1995年頃までに撮影されたネガフィルムを自身の手で年代順にまとめたアルバム計40冊分。</dc:format>
  <dc:identifier>https://atom.log.osaka/sn01</dc:identifier>
  <dc:identifier>SN01</dc:identifier>
  <dc:source>神戸大学人文学研究科・原口剛研究室（ネガフィルム・アルバム 計40冊）
記録と表現とメディアのための組織（48bit RGB / 2400dpi TIFF画像数千点）</dc:source>
  <dc:relation>https://atom.log.osaka/record-expression-and-medium-organization</dc:relation>
  <dc:relation>記録と表現とメディアのための組織</dc:relation>
  <dc:coverage>大阪</dc:coverage>
  <dc:coverage>釜ヶ崎</dc:coverage>
</oai_dc:dc>
