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Notice d'autorité

不明

近江絹糸紡績労働組合(旧)

  • 00004
  • Collectivité
  • 1946-1954

1946年、会社によって、彦根、中津川、岸和田、長浜の各工場に労働組合が結成された。(『近江絹糸人権争議の研究』上野輝将,2009,部落問題研究所参照)。「組合役員選挙に際し、組合長も執行委員も必ず重役が指名し組合はこれを推薦する。自主的に立候補すると解雇をもって脅して辞退せしめる」(『資料労働運動史』労働省p.629)という状態で、御用組合的な性格が強かった。1954年の人権争議により、新たな組合が設立された後、争議終結時、会社系の組合は三分裂した状態であった。その後、1954年11月に新組合と会社がユニオン・ショップ協定を締結し、翌12月には、会社系の3組合が新組合に吸収される形で統一が実現した(『大いなる翼を広げて』オーミケンシ労働組合,1989参照)。

近江絹糸紡績寮自治会(旧)

  • 00009
  • Collectivité
  • -1954

『京都新聞』1948年5月31日朝刊に、「近江絹糸を摘発 軍隊調で工員か搾取 二重帳簿で手当支払いゴマ化す」という見出しの記事が掲載され、本文中に「全部が寄宿舎に収容され…自治委員会も一応もたれているが、その中に寮生係をも含み…」と寮自治委員会の記述が見られる。「(『近江絹糸人権争議の研究』上野輝将,2009,部落問題研究所pp.53-54参照)。この自治委員会が旧寮自治会またはその前身と見られる。旧寮自治会組織の解散については、シリーズ5「近江絹糸紡績寮自治会」の履歴を参照のこと。

尼崎町役場

  • Collectivité
  • 1889-1916

明治22年(1889)4月1日、町村制施行により発足
大正5年(1916)4月1日、尼崎市制施行により尼崎市に移行

河本乾次

  • 00015
  • Personne
  • 1898-04-27 - 1982-07-14

大阪市東区谷町の落花生卸商に生まれる。北区第一盈進高等小学校を卒業後、見習旋盤工、新聞配達、人力車夫などをして釜ヶ崎や天六を転々。1919年1月に上京、新聞配達や臨時郵便夫をしながら上野図書館で独学、光風学舎、労働組合研究会、自由人連盟、北風会、平民大学などに参加。1921年2月に帰阪、4月に南海電鉄に入社、駅夫からのち車掌になる。以降交通労働運動を中心に遠藤喜一らと活躍、1930年『アナルキズム研究』1931年『自由連合』1933年『自主労働者』などを発行。1937年頃から神崎川改修工事に従事し1946年、大阪府従業員組合および府労働組合連合会の執行委員。1947年、大阪府土木部直傭労働組合を結成し日本労働組合会議に参加。1958年、日本アナキスト連盟加入、新聞雑誌等への寄稿多数。1968年の連盟解散後も、晩年に至るまで神戸を中心としたアナキストとの交友は深く、姫路の自由連合紙(向井孝)をはじめ厖大な紙誌資料とともに貴重な書簡を遺した。

氏丸正吉

  • Personne

武庫村長(1918)

統一委員会

  • 00013
  • 1958

分裂した労働組合を統一するため、全繊同盟、本部派組合、再建派組合の三者から統一委員を選出し、委員会を発足させた。第1回統一委員会は、1958年4月18日に開催され、同年10月2日、第17回の委員会で、10月25日の統一大会の開催、統一労組の概要を決定した。(『大いなる翼を広げて』オーミケンシ労働組合,1989,pp,140-143参照)。

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