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らくがき運動・職場闘争(近江絹糸)
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History
らくがき運動は、近江絹糸人権争議(1954)後、労働組合によって 取り組まれた文化活動である。
争議終結後、記念文集の出版を契機に、日記や「なんでも思っていることをかく落書、よせがき」を含む原稿を広く募ることとなり、 「みんなで書く運動-らくがき運動」が始まった。各支部で壁新聞、職場・寮・トイレに落書帳ノートを置くなど様々な取り組みが行われ、 結果、会社や労働組合、労働者相互の不満・意見や恋愛の悩みまで 多岐にわたる内容が集まった。1956年5月、これを元に「らくがき」が 出版され、様々な労働組合から注目を浴びた。
一方で、大量に集まった「らくがき」を職場文集などにまとめ、発表する試みがなされ、その中から「らくがき運動」で掘り起こした労働者の不満を職場新聞の発行によって共同化し、職場単位の要求闘争に発展させる動きが出てきた。職場新聞の発行に ついては、5支部32タイトルの存在が確認されている。当時、彦根支部教文部長であった辻保治は1956年1月、教文部に「らくがき班」を設置し、班員とともに、らくがき運動を推し進めた。
らくがき、職場新聞で取り扱われた職場要求の増加に対して機関として処理するために、彦根支部は職場要求処理小委員会 (1956年6月)と支部職場新聞編集委員合同会議(同年7月)を設置した。小委員会設置は要求を集約、処理するためであったが、 実際には整理に終われ、処理できなかった。同年11月に合同会議は、小報員会の発展的解消、職場闘争委員会の全職場 での確立、団体交渉権の職場への委譲の3点を教文部から 支部執行委員会に要請することを決議した。 12月、執行委員会は小委員会を解散し、職場闘争方式へ移行することを決定した。
以上の動きと相前後して7月には支部らくがき運動運営委員が各職場から1名ずつ選出されて設立された。さらに「らくがき運動は・・・教文部独自で行うことは、全分野の教文部のうけおいになって、あやまりである」という認識のもと、職場新聞編集委員、組織部、情宣部から成る「らくがき運動事務局」が9月に設置された。
この後の1957年6月発行の「第3回支部大会報告書及議案書」を見ると、 晒練職場が1957年4月26日に要求を提出したのを皮切りに、5月27日 までの約1カ月間に9職場が合計11回の職場要求の申し入れと団体交渉を行っている。
一方、1957年頃から表面化した近江絹糸の経営合理化・再建を めぐって、近絹労組は「本部派」と「再建派」に分裂した。翌年 3月に労組は再統一されたが、それと相前後して職場闘争は 衰退し、職場新聞のほとんども廃刊となった。
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A-1