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常吉村文書

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常吉村は、市域北西部、武庫川沿いに位置する。史料上の初見は文亀元
年(1501)「楢葉近江守貞連申状」(賦草案之引付所収/室町幕府引付史料
集成)で常吉名とある。北に隣接する常松と同じく名田の開発領主名に由来
する地名と考えられる。
村高は慶長10年(1605)に94石余、元禄15年(1702)に176石余、天保5年
(1834)に215石余であった。近世を通じて尼崎藩と旗本佐藤氏の相給であ
り、佐藤氏知行所は14石余であった。南隣の西武庫村とその南に連続する
守部村は全村が旗本佐藤氏知行所で西武庫村に陣屋が所在した。
水利は、武庫井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、
寺院は浄土真宗大谷派常願寺。
明治22年(1889)以降は武庫村、昭和17年(1942)以降は尼崎市の大字
となった。
常吉から西武庫にかけて市域で最初の大規模団地である西武庫団地が建
設され、昭和37年に入居を開始した。昭和40~平成元年の住居表示によ
り、旧村域は常吉・武庫豊町となったほか、一部が武庫元町・武庫之荘・
常松・武庫の里となった。

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