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Authority record

熔岩詩人集団

  • 00011
  • Corporate body
  • 1952-1965

熔岩詩人集団は、1952年、大西作平、猪野健司、中川郁夫他5名で発足し、同年、5月に「熔岩」第1号を発行した。社会的なイデオロギーを詩の中に盛り込むことを目指し、その後、昭和40年6月の81号まで続刊された。[C423]第19号(1954年6月)、[C496]第20号(同年7月)では近江絹糸特集を企画するとともに、詩を中心とした支援ビラを発行するなど、近江絹糸紡績人権争議を支援する姿勢を示した。([C418}『熔岩』第10号[1953]、[C427}『暗い中に笑顔が』pp.122-123,「近江文学百景 ―湖国の詩脈・戦後編〈11〉―数々の詩集について ―『暗いなかに笑顔が』ほか―」(『湖国と文化』1986年夏第36号 pp.72~pp.73)参照)

武庫村役場

  • Corporate body
  • 18890401-19420211

明治22年(1889)4月1日、町村制施行により発足
昭和17年(1942)2月11日、尼崎市に合併

常吉村文書

  • Corporate body

常吉村は、市域北西部、武庫川沿いに位置する。史料上の初見は文亀元
年(1501)「楢葉近江守貞連申状」(賦草案之引付所収/室町幕府引付史料
集成)で常吉名とある。北に隣接する常松と同じく名田の開発領主名に由来
する地名と考えられる。
村高は慶長10年(1605)に94石余、元禄15年(1702)に176石余、天保5年
(1834)に215石余であった。近世を通じて尼崎藩と旗本佐藤氏の相給であ
り、佐藤氏知行所は14石余であった。南隣の西武庫村とその南に連続する
守部村は全村が旗本佐藤氏知行所で西武庫村に陣屋が所在した。
水利は、武庫井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、
寺院は浄土真宗大谷派常願寺。
明治22年(1889)以降は武庫村、昭和17年(1942)以降は尼崎市の大字
となった。
常吉から西武庫にかけて市域で最初の大規模団地である西武庫団地が建
設され、昭和37年に入居を開始した。昭和40~平成元年の住居表示によ
り、旧村域は常吉・武庫豊町となったほか、一部が武庫元町・武庫之荘・
常松・武庫の里となった。

辻, 保治

  • 00001
  • Person
  • 1935-1998

故・辻保治氏(1935~98年)(以下,辻氏)は,1953年に近江絹糸に入社後,同社彦根工場において深夜業に従事し,「人権争議」(1954年)で中心的な役割を果たした。争議終結後は,労組彦根支部教宣部で「らくがき運動」を職場新聞に発展させると同時に職場闘争委員会を組織し,各職場に労働運動を根付かせる独自の運動スタイルを実現させた。一方で,サークル活動家としても活躍し,詩サークル『噴煙』を結成するなど,近江絹糸労働者の創作活動に大きな影響を与えた。辻氏は自ら彦根の地域文芸サークル誌『熔岩』にも参加した。1957~58年に近江絹糸労組の分裂騒動が起こった際には,反主流派である大垣方針派の立場をとった。
1962年,辻氏は近江絹糸を退職したが,その後も労働詩,労働運動にかかわり,晩年は地名研究に情熱を注いだ。
なお,辻氏の著作としては,「近江絹糸ストライキに参加して―〈メモ〉工員ツジの場合」(『大阪労働運動史研究』(15),pp.10-18)(2)がある。同号には入江スナエ氏の口述記録と質疑応答(辻氏も参加)を収めた「近江絹糸の思い出」(『大阪労働運動史研究』(15),pp.20-32)も掲載されている。また,辻氏の妻である朝子氏がまとめた辻氏の遺稿集『地を這う』(1998)には,病床での詩や佐渡在住の民俗学・地名研究者である本間雅彦氏(3)に宛てた手紙,箕面市史学会会報に載せた地名に関する論考が収められている。

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