市庭町窃盗一件捕吏調書
- JP JP-3000076 003-004-062003
- フォンド
- 1871年(未、明治4、推定)
上位の階層古文書・近現代文書類
尼崎城下を形成する八町のうち市庭町の樽屋職、樽屋庄助の孫みね(14歳)がおこした窃盗事件について、同町を管轄する捕吏が書き上げた調書1点からなる。
捕吏
西新田村大津波人家流出書上帳
- JP JP-3000076 003-005-062002
- フォンド
- 明治4年(1871)5月20日
上位の階層古文書・近現代文書類
明治4年(1871)5月18日に発生した武庫川下流東岸の西新田村・又兵衛新田における高潮水害の被害状況の記録。
西新田村庄屋辻井五市郎 ほか年寄2人
西新田村大津波人家流出書上帳
- JP JP-3000076 003-005-062002-001
- アイテム
- 明治4年(1871)5月20日
上位の階層古文書・近現代文書類
明治4年(1871)5月18日に発生した武庫川下流東岸の西新田村・又兵衛新田における高潮水害の被害状況について、西新田村が尼崎藩に報告したもの。
西新田村庄屋辻井五市郎 ほか年寄2人
市庭町樽屋庄助孫みね窃盗一件調書
- JP JP-3000076 003-004-062003-001
- アイテム
- 1871年(未、明治4、推定)正月25日
上位の階層古文書・近現代文書類
尼崎城下を形成する八町のうち市庭町の樽屋職、樽屋庄助の孫みね(14歳)がおこした窃盗事件について、同町を管轄する捕吏が書き上げた調書
捕吏
古川合名会社尼崎煉銅工場
- JP JP-3000076 006-B725-15
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町大洲
キャプション:尼崎町の内大洲に在り、大正二年六月の創立にして産額精銅一ヶ年九百六十二萬七千有余斤銅線二十三萬三千有余斤を算す。 不正確なタイトル:古川合名会社
市原写真館
魚市場
- JP JP-3000076 006-B725-19
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町字中在家町
キャプション:尼崎町字中在家町に在り二百年前享保年間に開市し漸次隆盛を極め爾来幾多の變遷を経て今日に至る。
市原写真館
株式会社大阪鉄工所尼崎工場
- JP JP-3000076 006-B725-23
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町大洲
キャプション:尼崎町の内大洲に在り大正元年九月の創設にして鉄管の産額七十萬圓餘を算す。
市原写真館
尼崎瓦斯株式会社
- JP JP-3000076 006-B725-26
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町別所
キャプション:尼崎町の内別所に在り、明治四十五年五月の設立にして瓦斯の供給及副生産物販賣を業とす。
市原写真館
合資会社渡邊硝子製造所
- JP JP-3000076 006-B725-27
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町字築地
キャプション:尼崎町字築地に在り、大正元年十二月の創設に係り食器及ホヤ類八萬圓を製出す。
市原写真館
貴布禰神社
- JP JP-3000076 006-B725-36
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町宮町
キャプション:尼崎町の西部宮町に在り高〓おかみ神を祭る、往古は西三の丸に鎭座ありしを正徳五年現地に移す社殿は文政年間の築造に係り境内樹木鬱蒼として宏壯に且つ雅趣に富む。
市原写真館
本興寺
- JP JP-3000076 006-B725-38
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町別所
キャプション:尼崎町の内別所に在り、本門法華宗の大本山にして慶林院日隆上人の開基なり、應永廿七年細川満立の造營に係り、當時は寺域八町四方あり、三方に門を搆へ四方濠を繞らし堂塔十六坊八棟造の七堂三重の寳塔隆々として相列ひ壯麗雄大を極めたるも數度の兵燹に罹り今や唯舊觀の一部を存するのみ然れとも尚本堂、祖師堂、大書院、開山、三光、舎利各堂、方丈、庫裡等整然として存在せり、國寳日隆上人の像は佛師淨傳の作なり。
市原写真館
御大典紀念献上 尼崎市写真帖
- JP JP-3000076 006-B725
- フォンド
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
1916年(大正5)年の市制施行直前の主要公共施設・学校・工場・風景・寺社などを写した41枚の写真を掲載し、一枚一枚に解説を付している。
市原写真館
尼崎町ノ一部 其ノ一
- JP JP-3000076 006-B725-1
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:築地町より中在家町を望む
キャプション:尼崎町は戸數六千人口三万を有し南方は大坂灣に臨み土地平坦にして市街長方形をなす其地理は極めて海陸の運輸交通に適するを以て各種の會社爭ふて起業地とし爲に煙突は年年其數を加へ人口亦著るしく増殖して今や全く昔日の面影を改めんとす以下撮影するものは其の概況なり。 ふるさと「尼崎」のあゆみキャプション:北東から築地を望む(大正初期)左、大黒橋、左下少し見えるのは丸万橋。この辺りには木材屋、竹屋、船大工作業場などがあり、木材や竹の筏が多く見られた。
市原写真館
庄下遊園地
- JP JP-3000076 006-B725-13
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:庄下河畔
キャプション:本町の中央を貫流する庄下河畔にあり樹木鬱蒼として河面に反映する處閑雅肅洒にして亦一種の風致あり。
市原写真館
尼崎紡績株式会社
- JP JP-3000076 006-B725-14
- アイテム
- 1915年(推定)
上位の階層写真類
撮影場所:尼崎町字辰巳町
キャプション:尼崎町字辰已町に在り、明治廿二年六月の創設にして資本金六百四十四萬円職工數壹萬四千余綿糸綿布の製産額千七百萬三千有余圓を算す。
市原写真館