- JP JP-3000076 003-005-062002-001
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- 明治4年(1871)5月20日
Part of 古文書・近現代文書類
明治4年(1871)5月18日に発生した武庫川下流東岸の西新田村・又兵衛新田における高潮水害の被害状況について、西新田村が尼崎藩に報告したもの。
西新田村庄屋辻井五市郎 ほか年寄2人
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Part of 古文書・近現代文書類
明治4年(1871)5月18日に発生した武庫川下流東岸の西新田村・又兵衛新田における高潮水害の被害状況について、西新田村が尼崎藩に報告したもの。
西新田村庄屋辻井五市郎 ほか年寄2人
Part of 古文書・近現代文書類
尼崎城下を形成する八町のうち市庭町の樽屋職、樽屋庄助の孫みね(14歳)がおこした窃盗事件について、同町を管轄する捕吏が書き上げた調書
捕吏
Part of 古文書・近現代文書類
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Part of 古文書・近現代文書類
明治4年(1871)5月18日に発生した武庫川下流東岸の西新田村・又兵衛新田における高潮水害の被害状況の記録。
西新田村庄屋辻井五市郎 ほか年寄2人
Part of 古文書・近現代文書類
尼崎城下を形成する八町のうち市庭町の樽屋職、樽屋庄助の孫みね(14歳)がおこした窃盗事件について、同町を管轄する捕吏が書き上げた調書1点からなる。
捕吏
Part of 写真類
撮影場所:築地町より中在家町を望む
キャプション:尼崎町は戸數六千人口三万を有し南方は大坂灣に臨み土地平坦にして市街長方形をなす其地理は極めて海陸の運輸交通に適するを以て各種の會社爭ふて起業地とし爲に煙突は年年其數を加へ人口亦著るしく増殖して今や全く昔日の面影を改めんとす以下撮影するものは其の概況なり。 ふるさと「尼崎」のあゆみキャプション:北東から築地を望む(大正初期)左、大黒橋、左下少し見えるのは丸万橋。この辺りには木材屋、竹屋、船大工作業場などがあり、木材や竹の筏が多く見られた。
市原写真館