検索結果:109件

典拠レコード

Creator (ISAD 3.2.1)

Example fonds Creator history (ISAD 3.2.2). Note that this will be added to the related authority record for Creator (ISAD 3.2.1).

河本乾次

  • 00015
  • 個人名
  • 1898-04-27 - 1982-07-14

大阪市東区谷町の落花生卸商に生まれる。北区第一盈進高等小学校を卒業後、見習旋盤工、新聞配達、人力車夫などをして釜ヶ崎や天六を転々。1919年1月に上京、新聞配達や臨時郵便夫をしながら上野図書館で独学、光風学舎、労働組合研究会、自由人連盟、北風会、平民大学などに参加。1921年2月に帰阪、4月に南海電鉄に入社、駅夫からのち車掌になる。以降交通労働運動を中心に遠藤喜一らと活躍、1930年『アナルキズム研究』1931年『自由連合』1933年『自主労働者』などを発行。1937年頃から神崎川改修工事に従事し1946年、大阪府従業員組合および府労働組合連合会の執行委員。1947年、大阪府土木部直傭労働組合を結成し日本労働組合会議に参加。1958年、日本アナキスト連盟加入、新聞雑誌等への寄稿多数。1968年の連盟解散後も、晩年に至るまで神戸を中心としたアナキストとの交友は深く、姫路の自由連合紙(向井孝)をはじめ厖大な紙誌資料とともに貴重な書簡を遺した。

市原

常吉村文書

  • 組織名

常吉村は、市域北西部、武庫川沿いに位置する。史料上の初見は文亀元
年(1501)「楢葉近江守貞連申状」(賦草案之引付所収/室町幕府引付史料
集成)で常吉名とある。北に隣接する常松と同じく名田の開発領主名に由来
する地名と考えられる。
村高は慶長10年(1605)に94石余、元禄15年(1702)に176石余、天保5年
(1834)に215石余であった。近世を通じて尼崎藩と旗本佐藤氏の相給であ
り、佐藤氏知行所は14石余であった。南隣の西武庫村とその南に連続する
守部村は全村が旗本佐藤氏知行所で西武庫村に陣屋が所在した。
水利は、武庫井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)、
寺院は浄土真宗大谷派常願寺。
明治22年(1889)以降は武庫村、昭和17年(1942)以降は尼崎市の大字
となった。
常吉から西武庫にかけて市域で最初の大規模団地である西武庫団地が建
設され、昭和37年に入居を開始した。昭和40~平成元年の住居表示によ
り、旧村域は常吉・武庫豊町となったほか、一部が武庫元町・武庫之荘・
常松・武庫の里となった。

109 件中の 31 件目から45 件目